avril 10, 2012
『紅の豚』 Porco Rosso (1992)

     
     
 写真は上側がパンフレット、下側が初公開時に試写で配られたプレスシートです。

 この映画についてのお話は、以下を参照して下さいませ。

 『紅の豚』 Porco Rosso (1992) act.1
 『紅の豚』 Porco Rosso (1992) act.2

 実は・・・上記の記事は私自身「早書き」の限界に挑戦したんですね。【60分でどれだけのものを書く事が出来るか?】写真撮影時間は除き、現在の自分の60分、その限界はこんな感じです。所々で稚拙だったり、おや?と思われる箇所があるかもしれませんが、そこは何卒、御身の徳をもちましてご容赦の程。

 今は昔、三十路に差し掛かろうと云う時であったか、『ダーティハリー』2000文字を〆切前40分で仕上げ、編集者から殆ど直しを受けず、且つ、人生屈指のデキの良さ・・・あの神懸かった力をもう一度・・・。
 然し乍ら、若さ、そして「追い詰められ方」と、今回は全て足りませんでしたわね。
 
 だが、私はあきらめん!また折りを見て挑戦してやる所存である。

mars 31, 2012
『ルパン三世 カリオストロの城』 Le Château de Cagliostro (1979)

             

 ハァ〜イ♡、男にも女にもモテなくってイベントのたんび悶々としていらっしゃる、根性無し甲斐性無し弁護の余地ナシの皆様、ほほほほ御機嫌麗しゅう。今日も今日とて日がな一日、ネットでしょうもないコトつぶやいたり投稿したりしてお過ごしなのかしら?
 「ランチなう」だとか「カフェなう」なんて、そぞろ書き込んじゃったりなんかしちゃったりなんかして、もーこのこのぉーちょんちょん、あらあら、うふふふ・・なかなか虚しさ爆裂でよろしいようだわね。イイネ!

 ノノノノノ、そんなに目くじらたてちゃあ、だぁ〜メ、判っていますわよ、判っちゃいるのよスイートハート。放つ言葉にイミなんか元々ありゃあしないって、大事なのはネットを介しつつ他人と繋がっている、言わば感覚の共有なんだわ。でも御安心なさいね、あなたが今、感覚を共有したと思い込んでいるのは実はあなたの鏡、己以外をして所詮は無関心でしかない虚像、たとい饒舌を以て森羅万象を説いた所で暖簾に腕押しの、「アカの他人」なの。ほほほほ、よろしくてよ。

 よろしくてよ!、いけませんわね!、のボタンが欲しいところだわよ。

 ささ、冒頭にての毒吐きまくりで、ガッチリ愛♡ハートを掴んだところで、今宵ひっさびさに映画パンフのお話をさせて頂きますわね。といっても『ルパン三世 カリオストロの城』はコレ一種類しかありませんから、館名のコトとかしかネタがないわね。こまったわ・・・、でもそんなんじゃ文字通り「ハナシにならない」ので、名作と製作時間とは何ら正比例するものではない、とする根拠の希薄な自説でも述べさせてもらいましょうかしら。


 およそ文化芸術作品に在って世に「名作」と評価されるものは、とどの詰まりその殆どが偶然の産物なのではなかろうか?或る種の芸術否定とも曲解されかねぬトンドモ説にて恐縮だが、私は常々前からこの事を強く感じている。詳細については以前、『カサブランカ』のパンフレットコーナー
 http://bladerunner.tou3.com/Entry/466/
 でも述べさせて頂いたが、もう少し補足すると、古来より「火事場のバカ力」などと呼称される理力(フォース)も関係しているのだ。それは即ち、納期ギリギリになっても仕上がらない、散々に焦り、時に怒り、時に泣きが入り、トコトン追い詰められた挙げ句のビッグバンなのかも知れない。

 本作『ルパン三世 カリオストロの城』も又、かようにした偶然と理力によって創出された、恐るべきアニメなのである。俄には信じ難いだろうが、この映画は構想からクランクアップまでが僅か半年と云う、有り得ない驚異的なスピードで以て制作されたのだ。なので、作画レベルでも脚本レベルでも、確かに穴があちこちにある。それだけで一冊の本が出来上がってしまう位ある。

 だがどうだね。初公開の1979年から30年以上を経た現在も尚、『ルパン三世』と銘打たれたアニメ作品群で、実際問題これを超えるものが出来ているのかね?本作以前には確かに存在した。だが以降は・・四方や答えは言わずともよかろう。

 結局、『ルパン三世 カリオストロの城』は『カサブランカ』と同じ、銭形を含むルパンメンバー5人の持つイデオロギー、人生観、人間性などの普遍的な部分を、制作者である宮崎駿自身も思いもよらない所で偶然掘り起こしてしまい、故に作中キャラクターのみならず映画そのものが生命を持ってしまったと思われてならない。

 「あなたのこころ」を盗み出す為に必要なのは単に時間ではない、まったく異なった、時間も概念も超越した、大曼荼羅宇宙の理のような、それでいて直感に訴えかけて来る、あたかも言霊の如き不可思議な力であり、其れ等エナジーに充ち充ちた生命を生み出すのは、矢張り偶然に頼るしかないのかと、私は相も変わらず言い訳がましい駄文を綴ってゆく次第なのである。



 (c)2012 Tony Arzenta , all rights reserved.




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janvier 29, 2012
『別離』 La Chamade (1968)



写真は東宝事業部発行の初版の本命版スカラ座館名入パンフレットです。

丁度『昼顔』で脂ノリノリだった頃のドヌーブ嬢なんであります。20代で30代の女性を演じる貫禄は流石大女優。しっかし、キレイですね〜(笑。おお、我が愛しのドヌーヴ…って、おまえはこの間までバーグマンラブラブなんじゃなかったのか、だと?

うるせえ、ワシはカネも徳も節操もないのじゃ!まいったか、はははは。


さあ、この映画の原作はセシルの『悲しみよこんにちは』で有名な、フランソワーズ・サガン6本目の小説『熱い恋』です。

「映画作品の話をするにあたり、原作云々を述べるのはまことに無粋である」とは、かの三島由紀夫先生のお言葉。蓋しご尤もにて候。

なれど本作『別離』にあっては、原作者サガン自身が(『死刑台のエレベーター』助監督のアラン・カヴァリエとの共同と云う形で)脚本に大きく関わっていたわけでございまして、因って今回ばかりは先生、何卒例外をお赦し願いたく存じ上げ奉りまする。

さて、私はどうも好きではないのです。誰がって、フランソワーズ・サガンです。成る程、破天荒の極みを得たこの姐さんの生き様にはいちいち感心させられますし、むしろ見習いたいくらいではあります。然し乍ら、彼女は齢18にしておよそ人間が欲しいと思うもの、地位、名誉、金、賞賛、愛人、これら全てを手に入れてしまったわけですから、四方や神に愛されるにも程がありましょう。

ここまででしたら「確かに羨ましいが人は人、我は我」で終わってしまうのですが、サガン姐さん、その先がよろしくない。
金に倦んだ生活の果てに、すっかり人間性が歪んでしまったわけです。

勿論ですが物書きなる人種は須く、我が強く、負けず嫌い、ナルシスト、でもってアタマのどっかしらがイカれている、以上のどれか二つは持っているものでしょう。おまけにかようにした自身の歪んだ人生観を、さも世の真理でもあるかの如く、上から目線で「格言」などと称し書き倒したがるのですから始末におけません。
まったく…絶対に友達に持ちたくないですなー(笑、いやまあ、それ位でなければ延々と活字と向き合う苦行を積むなど出来よう筈もありますまい。
スタンダールをはじめ、三島先生も、ひいてはアンサイクロペディアの守護神にして創設者、オスカー・ワイルド様の歪みっぷりなどは最たる好例です。

ですが、サガン姐さんの場合、彼らに比べ余りに夢が無い。

結局このヒト、夢、と称するものを死ぬまで持てなかったんじゃなかろうかって思います。少女時代に才能を認められ、ありとあらゆる欲に通ずるものを全部手に入れてしまったが故の不幸で、後の長い人生は倦怠と厭世そして絶望のみだったに相違ありません。

彼女の綴る言のひとつひとつが「言って欲しくない」言霊に成っているのです。

人間がこの世で一番他人から見せられたくないもの、聞かされたくないものとは自分自身の鏡、即ち心底であります。
サガンはそれをやってしまっているのです。
人の感情を刺激すると云う意味での才能は群を抜いて居りますし、小説家なれば称賛に値すべき感性なのかも知れません。
けれども、私は好きになれないのです。

前置きがもの凄ーく長くなりましたけれども、この『別離』、以上の理由もあってか如何に愛するカトリーヌ・ドヌーヴ主演であっても、脚本における夢の無さが常軌を逸してしまって居り、良い映画ですが決して何度も観るような作品ではないと、私自身をして断じているわけなのであります。

ま、実のところ、私がサガンを忌諱する理由はもっと単純です。

きっと自分では努力してもしてもどうにもならなかった、若くして成功した人物への嫉み、なのでしょう。

でもコレは私の持っている心の鏡の引き出しの奥底に、そっと仕舞い込んでおく事にします。



(c)2012 Tony Arzenta , all rights reserved.




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